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半年に一度の授業参観日。むすこのクラスは図工。一人称が「おれ」になっているだけで、基本、家にいるのと全く変わらない様子で粘土をこね続けるむすこが好ましい。大声で『Undertale』の音楽を歌い、隣の娘(幼稚園からの同級生)に話しかけ、豪快にスルーされているが気にしない。そんなコミュニケーションが色んな所で同時発生している。クラスに中心となるような子どもはいないようで、複数の「中心」が渦のように浮かんだり消えたりし続けている。

アリス・ディオップ『私たち』。やりたいことは分かる。移民としてフランスにやってきた親たちから生まれた自分が、映像作家として過去(昔の家族を捉えた18分のビデオ映像まで登場する)と現在における自分たちの位置を相対化してみせる。そのために、様々な立場の人々、シチュエーションが登場する。しかしながら、あまりにコンテキスト依存が激しすぎる。舞台となる地域に走るRER(イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網)B線)というのが、どのような意味を持つのか、という点のみならず、『ロワシー・エクスプレスの乗客』という旅行記が下敷きになっていることが何の説明もなしに前提となっているというのは、一つの映像作品として見るにはあまりに脆弱すぎやしないか、と感じてしまい乗れず。映画である必要がない、というか、他のアートフォームの方がテーマを適切に表現出来るだろうなあと思ってしまいました。

MCATM

@mcatm

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