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ようやく初めて井上尚弥の試合を(ほぼ)リアルタイムで観れた。第1ラウンド、びっくりするぐらい硬かったので何があったのかと思ったんだけど、ダウンしてからゆっくりカウント待ってから立ち上がって、後半調子を上げ、第2ラウンド以降は完全に場を支配してしまった。そこからは、いつ、如何に、倒すか、というショー。一試合通しで観たのは初めてだったので、圧倒されてしまった。「トドメ!」という感じのラストの右も見事。そらみんな熱狂するわな、とGW最終日に納得してた。


下高井戸シネマでビクトル・エリセ『瞳をとじて』。またしても満席。『悲しみの王(Triste le Roi)』と呼ばれた邸宅が粗い16mmフィルムに焼きつけられており、その時点でなんというか、もう、ガッツポーズというか。これだけの年月を経ても、『ミツバチのささやき』『エルスール』と地続きの質感で安心して観られるというか。「瞳をとじて」というタイトルが見事で、「映画」という視覚メディアをして、「瞳を閉じる」という行為が何を意味するのか、という当事性が潜んでいる。視覚を遮断する代わりに、「記憶」が立ち上がるだろう。

『別れのまなざし』という劇中劇で、劇中の探偵への依頼は「娘を捜すこと」。その探偵を演じた主演俳優が撮影中に謎の失踪を遂げてから20数年。その娘アナ(アナ・トレントがまた「アナ」を演じる!)は、幼い頃に僅かな時を共に過ごしただけの父親との再会を、半ば諦めたような心持ちで過ごしている。

劇中劇で探偵に与えられたほぼ唯一の手がかりは、娘チャオ・シューの写真。その写真は時を経て、記憶から追放された娘の手触りを残して続ける。視覚と記憶の混淆が、映画の可能性を拡張してみせるような設定にも思える。

かくして、映画は現実的な力を持ち始める。決して完成しなかったフィルムが、埃だらけの映画館のスクリーンに投影される。そこで瀕死の父は、娘の化粧を拭い落とすと、流れるアイシャドウに「悲しみ」が演出されているように見える。「奇跡など起こらない」と断じてみせた、その言と裏腹の「祈り」は如何にこの数奇な物語を完結させるのか。ドライヤーまで引いてみせたそのやり口の割に、その「奇跡の所在」について描ききらなかったのはやや不満ではあった。

MCATM

@mcatm

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