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SKIN/スキン

レイシストである主人公が憎悪の雄叫びをあげる場面から物語は始まる。先日日本でも無料公開された、大変衝撃的な内容の短編『SKIN/スキン』の長編版。内容は全く異なり、登場人物にも直接のリンクはないはずだが、剃髪のシーンや、ソファーを使った遊びとか、全く異なるシチュエーションなのにところどころリンクするような不思議な作りで、二本は明らかに結び付けられている。長編を観た後に改めて短編を省みると、そのプロットは、「レイシズムからの更生」を描く本作の物語に対して、鏡像のような構造を成していたことが分かる。

そんな中、両者の対象性を見守る要石のような存在として配置されているのが、ダニエル・マクドナルド演じる「母」の存在である。短編では主人公の、長編では三人の娘の母親として、自らの子を見つめるその視線は、立ち位置の違いを受けて微妙に角度を変える。暴力を恐れ、偏見を嫌う心根はあるものの、現状に異議を唱えることを疎み、目前の社会で息子と共に認められる栄誉に溺れる短編の「母」。娘たちを愛するが故に、その非暴力、アンチレイシズムの気持ちを隠そうとしない、長編における強い「母」。出発点は近いところにあれど、行動とその結果は全く異なるところにあるこの二人を、同一人物が演じているという事実に強い意図を感じる。

パッと見、短編の方が衝撃的で派手なんだけど、このテーマで語り切る意志と数段増した深み、それを撮り切ろうとする手管の美しさに感心してしまった。例えば、ある銃撃をやり過ごした後の暗転。微妙な間合いが、籠城していた小屋から出ていく主人公たちの緊張感を演出していた。もしくは、序盤の数シーンで、主人公がどういう人生を送ってきた結果、この唾棄すべきコミューンの中でどのような地位を得ているのかを説明抜きで表現する手腕。その上で、例えば「レイシズムとは」などといったより大きく一般的な概念は、ざっくり各々の理解に任せるという手法もスマートだと思った。ガイ・ナティーヴ監督、長編一作目ながら異常に上手いと思いますよ…。

主人公はとても優しい。そんな「とても優しい」彼が、恐ろしいレイシズムに侵されているという問題。自分たちの隣人、親兄弟がレイシストであったとしたら…という「恐怖」に怯えた経験は多くの人が共感できるものだと思う(そして、自らがレイシズムに侵されていたら…という恐怖も、また存在する)。実話であることが多少の足かせにはなるものの、自分たちの物語として抽象化できるだけの強度が確かにある。頭から爪先までレイシズムに染まった主人公の決断。その結果、決して容易くはない改心の過程を経たその人を、丸ごと受け止めるという決断を強いられるのは、鏡像的物語における「母」だけではない。「レイシズム」という「異常性」は実は日常に接続されているのだけど、一見異常に見える事象を「罪を、人を、赦す」という行為で一般化して、観客それぞれにとって「自分の物語」としてしまう強烈さを感じた。

http://skin-2020.com/

俳優は皆良かったんだけど、特にヴェラ・ファーミガの演じるファミリーの「ママ」。誰もが震え上がる厭な脅し文句はもちろん、権力を持つ側特有のレイジーさで素っ頓狂なコーラスを入れたり演説をするシーンなんかも絶妙の上手さで、役者ごと嫌いになってしまいそうな圧があった。そしてもちろん、主人公のジェイミー・ベル。この役をものにするためのタイトな気迫みたいなものをビンビンに感じた。見事な結果が残ったと思う。

MCATM

@mcatm

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