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東日本大震災でラボが思ったこと(ラボ曲『AC(あした、ちょっと)』を作るまで)

はじめに

平成23年3月11日 東日本大震災が発生しました。大きな地震でした。ひどい津波が街を襲いました。福島第1原発では放射能漏れが生じ、いまだ収拾の見通しが立っていません。

それから1か月以上の間、いろいろなことを考えました。思いました。感じました。立派なことや正しいと思われること、間違っていることや非常に卑近で醜いことなど、いろいろです。思うところあって震災と子どもたちをテーマにした『AC(あした、ちょっと)』という曲も作りました。

まずは聴いてみてください。よかったらご購入の検討もぜひ!

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今でもそのほとんどがまとまらないまま増えていく一方ですが、ここで一旦まとめておこうと思います。どんなことを思ったのか、そして何で『AC(あした、ちょっと)』という曲を作るに至ったか。全部は書ききれないし、うまく効果的にまとめる自信もありませんが、書きますね。

『AC』を作るに至った経緯

まず、今回の震災については規模があまりにすごいこと、奥さんの実家(石巻市)が被災してるため当事者感が強いこと、原発の影響に怯えているもしくはそれに伴って今後生じるであろう経済・社会的沈滞ムードに不安を抱いていることから、自分は強いショックを受けています。
もとより俺は社会的なメッセージを人に投げかけたりするタイプではないし、音楽でそれを表現しようとするものではありません。

さらにいうとここまで酷い状況を前にして「音楽にできること」とか俺においては「ない」もしくは「当事者にとって邪魔極まりない」だろうと思うのです。いや、音楽家にとってその壁に挑む行為は尊いし、癒される人もいると思うし、お金が発生して義援金として活用されるのであれば素晴らしいことだと考えているのですが、たとえば気仙沼市の家族5人を失い高台から「おかあさん!」と叫ぶ少女に対し「pray for japan」も「ひとつになろう」も「東北ガンバロー」も、むなしく響くばかりだし「あなたたちのそれはいいから、私のお母さんが!」と自分がその立場に置かれたら大声で叫びたい気持ちになると思うのです。

じゃあなんで『AC(あした、ちょっと)』という曲を作ったのかというと、これがまたよく分かんないんです。これは応援ソングじゃないです。とてもじゃないけど東北の人たちには聞かせられない。まず奥さんに聞かせられない。石巻のご家族の命こそ無事でしたが、幼い頃から見慣れた風景が犯された様子はテレビで観るだけでもかなりショックだし、遠くの地でひとり平穏な暮らしをしている負い目を感じながら延々ニュースを見続ける人に対して、「曲、どう?」なんて感想を伺う勇気はないです。ましてや気仙沼の少女にこの音源を渡せるのか?そんなのできるわけない。

でも、この件、特に被災地のこどもたちについてはもう黙ってられないのです。俺もいまや二児の親であって、細胞のほとんどが親になってしまっていて、ニュースで被災地の子どもが泣いてたり、笑ってたり、辛さにまだ気づいてなかったり、親がまだ見つからなかったりしているのを目にすると駄目。何か言ってあげたいし、言わずにはいられない。でも何がいえるのかって、何にもないんですよね。それでも行ったり来たり、脳内掲示板に書き込んだり消したりして辿り着いた言葉が、「あしたちょっと、君の背は伸びるだろう」なんです。もちろん弱いよ。正直ぐらんぐらんだよ。 でも思ったんだよ!まだ本人に向かっては言えない、でも言葉を飲み込むにはあまりに強い思い。「あしたちょっと、君の背は伸びるだろう」。もしかしたら今なおつらい状況にある誰かの腹を立てる結果になるかもしれない。でも、俺は、今、こう、思った。それをラップして、録音した。それが俺に必要でした。

まったく正面口から入ったわけではないけどラップというものが大好きで、まさか自分で作れるとは思ってなかったけどいくつかの幸福に恵まれて、ラップ作品を作れるようになって15年。前述したようにそれが当事者からしたら「邪魔極まりない」ものだとしても、俺は「この思ったことについて、ラップして作品として記録しないと、もうこれから音楽なんて作れない」と思ったんです。できあがったものがどこに向いてて、誰に届いて、どんなもんだか皆目見当つかないけど、ぜったい作んなきゃなんない、じゃないと嘘だろうと思いつめて出来たのがこの一曲なのです。

録音中のエピソード、余震、不安

俺は俺なりに今回の地震についていろいろすわりのいい意味づけとかして理解しようとしたり、安心しようとしていたところがあったんです。この曲だってその一環かもしれない。だけど余震くるとそんなのどうでも良くなって、ただ恐ろしい。「今」と「これからの世界」が恐ろしい...なんて気持ちになりました。こりゃーラップで思いなんか録音してる場合じゃねえわ、つうかこりゃー被災地の人に届くわけねーわーと思いました。 地震苦手です。

現地の人と我々の埋めがたいギャップについてはこういう文章がネットにあがってて、これはもう実に俺の読みたかった意見なんですよね。すごく理解できる。あまり書かれないことだけど、まずはここからだよなって。この差があるのは当然として、それで止めるんじゃなくて、じゃあ向こうの人には届けるべきタイミングじゃないにせよ(そもそも俺の曲なんて現状友達以上にはひろがらないんですけど)、言いたいことあるよね、それはなんだろうって。勝手に感動することなく、勝手に気持ちよくなることなく、勝手にまとめることなく、嘘をつかずに言いたいことだけを言おうと思ったんです。というかそれしかない。いい意味で余震がブラッシュアップしてくれました。かっこのいいこと言おうとすると余震が来る。この不安と恐れの中で言える言葉なのかそれは?って考えました。

タイトルの由来とトラック、写真について

タイトルを『AC』とした理由について。みんな大嫌いACのCMですが、俺は一度もそう思ったこと無くて、金子みすゞ のなんか毎回言葉の意味をしみじみ汲み取っちゃうし、特に「こどもに、あなたの手当てを。」編をはじめて見たときは相当トバされました!こんなに今流されるべき映像をテレビで見るとは思っていなかったので。

ほんとそうだよー今最高に適切なメッセージだよーACありがとう!と思ったんです。ちなみに初見時は3月12日深夜のテレ東シネ通(ゲスト高田純次、発言内容も通常営業)でした。番組のふざけた湯加減と懐かしい安心感、CMがくれたメッセージの力強さ(視野が広がり呼吸もできるようになった今、じゃないよ。3月12日だったんだよ。意味わかるでしょ?)は一生忘れられません。だから、俺もACを作ってみました。

『AC(あした、ちょっと)』のトラックについて。ちょうど震災前後にaiwaくんと「カセット文通」をしてたんですね。「カセットテープに一曲録音したら相手に郵送、もう一人は逆の面に一曲録音して送り返す」という形式で。んで、彼が送ってくれたビートの中で一番気に入っていたのが、ポジティブに偏らず、メロウすぎず、ゆったりしていて、でも前に進んでいるこのトラック【beat from AIWASOUNDLIBRARY02(cassette)】。これにのせてラップしよう、タイミング的になにかの縁だと思うということで思い切って録音しました。 (彼から承諾を得る段階で「もっときちんとした音質データを送りたい」との申し出もあったんだけど、時間的制約もあるので「今」この曲を表に出したいんだ、その意味を優先したいんだと説明し、OKを頂きました。後日、完全版を作りたいと考えています)

youtubeに掲載した写真は何度もここで話が出てくるマイメンカリオカさんの撮影した写真です。ラップする内容からいくと「津波被害の写真」「美しいポジティブ写真」「pray for japan的な写真」などいろいろアプローチがあったと思いますが、俺はカリオカさんのこの写真が一番良いと考えたのです。不自然に前向きだったり、美しかったり、子供向けだったり、悲惨すぎたり、「アートにできることは」的独りよがりに陥ってたりしているのは、避けたいと思っていて、この写真には自分がこの曲を作るにあたって表現しようとしたものが全部あると思ったからです。平温の中にあるシンプルな美しさと力強さと親しみやすさと、って言葉にするとなんかものものしすぎますね。要するに日常とポジティブ。そして嘘がない。 あとで話を聞いたら「通りかかった幼稚園だか保育園だかの壁の一部」を撮ったのだそうで、期せずして内容と繋がった気がします。「日の丸に見える」とか「青空飛んでる」のようにすぐには意味が見えない写真だと思うので一曲聴きながら見るのにいいとも思いました。聴き始めと聴き終わりでは違って見えると思います。

発表形式?について

録音が完了したものの、いったいどういう形で出そうか、そのやりとりをしているテープ作品の一曲で完結させようかとも悩んだのですが(、rippingyardで震災に際して考えたことなどをばーっと書きなぐって報告し、そこで発表することに決めました(「発表」とか50人くらいしか聴き手のいない俺の音楽にふさわしい言葉じゃない気もするけどさー)。rippingyardもまた俺にとっては大切な場所なので、やはり震災についてコメントを避けては今後記事なんて書けないと思ったのです。 だからドカッと書いてガバッと貼り付けています。ありがとう、rippingyard。

曲に関してはただ公開するだけじゃあれなんで、ささやかもささやかではありますが、ダウンロード販売&全額寄付という形をとることにしました。 

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最後に

俺は自分のポッケにあるものを全部使うしかない(他人のポッケの中身を羨ましがっても仕方がないし、もう俺はそんな季節はとっくに過ぎたと思う)。んで、その上で自分にとって良いと思うことを行っていきたいですね。それって良く考えると「日常を普通に全力で営みましょう」ってのとまったく意味違わないんだよね。最近世の中の風潮が「火事場の馬鹿力」的なものを自分以外の人全員に期待している気がちょっとしてるんですけど、俺なんか凡人だから非常時とかここぞという時に力を最大限発揮できるわけなくって、一番MAXのラボになれるのは日常においてなのです。だからそこで頑張る。

あとは誰でもできる確実な社会貢献、s.l.a.c.k.言うとこの「忘れてるなら彼女にキスしな」ですよ。つまり「こどもに、あなたの手当てを」です。「彼女」も「こども」も、大切なものに何でも置き換え可能だよ。まとまんないけど、それしかないし、それしかないよ!

ラボ

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