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ブラインド・マッサージ

ド頭から凄まじい体験。真昼の病院の狂騒に聞き耳を立てた主人公シャオマーが、狭い廊下をやおら歩き出す。交通事故の影響で視力を失い、「全てが夜になってしまった」シャオマー。この事実を告げるナレーションに寄り添うように、彼の背中を追うカメラからは居場所が、そして白昼の廊下からは唐突に光が失われ、輪郭は溶け、暗く、あらゆるものが判然としない世界に観客が叩き込まれる。そこで悲劇が起こる。このオープニング、盲人の視点、そしておおよそ過敏になった盲人の聴覚も表現されているという、今まで味わったことのない種類の衝撃的な体験で、恐怖を感じるのとともに、表現手法それ自体に底知れぬ魅力を感じてしまう。

盲人が経営し盲人たちが働く南京のマッサージ店を舞台に、そこに働く人々がある短いひとときを共にすることで交錯する、それぞれの物語の断片。やがてそれらが散り散りになってしまうまでを描いている、ただそれだけの映画っちゃあそう。身体や心の痛みを伴うそれぞれのエピソードを通して、視力を前提としない生活のあり方が芳醇に描かれ、「あ、こういうことあるんだ」とか「まあこうなるよね…」「確かにこれは危険だ…」など、身近にあるはずなのに遠い世界の描写に、ワイズマンのような観察映画を観ているのに近い感触すら覚えた。

描かれているのは、一つには、盲人の生活。視力を失うことで普通では考えられないぐらいあけすけだったり、隠し事が成立しやすい空間になっていたりする、そんな彼らの生活空間をぶっきらぼうに映し出す。そしてもう一つは、「美しさ」という概念を探し求める人々の姿。視力を奪われた彼らの元に顕現する「美」は、超えがたい壁、暗い影となって彼らの生活を覆い尽くしてしまう。「美人だな」。患者の何気ない一言が、さざなみのように彼らの間をくぐり抜け、それを感じる前の世界には決して戻ることは出来ない。それを知ることで惨めになるのだから、端から目を閉じてそれを観なかったことにすればいい。観たことのない女に恋をし、観たことのない男に焦がれる。それは「決して見ることの出来ない美しさ」への憧憬であり、描かれているのはそれを手に入れるために血を流し、涙を流してもがく不器用な彼らである。

「豚の角煮ぐらいきれいだよ」

盲ゆえに不器用なのではない、「まだ観ぬ<美>という概念にもがく姿は、不器用な我々そのものではないか」という訳知り顔の一般化/抽象化がまた始まる。しかし盲人の視点はそんな容易い認識を突き放すように一向に安定せず、観客の心のざわつきを収めようとはしない。

最後の最後(と言ってもネタバレはしない)、ようやく手に入れた、すがるような幸せの残像。主人公の一人が見せる笑顔。視力を奪われた世界における「美」をめぐるこの冒険が、ささやかでおぼろげな「確かさ」の中に収束していく瞬間、その美しさに驚き、感動した。この物語が、人生という歪さの中に、新しい形の幸せを発見する物語なのだとしたら、なんと幸せな結末なのだろうか。

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※原作小説はちょっと高くて手が出なかった…。読んでみたい。

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