『87分の1の人生』/低く低く、そこからでも抗うこと
母親の甘やかし、現実逃避のドラッグにテキーラ、スマホにインフルエンサー。依存症の現代的バリエーションを過剰に盛り込んだ「依存の申し子」のようなアリソン(フローレンス・ピュー)。交通事故を起こし、婚約者ネイサンの姉夫婦を死亡させるも、直前にスマホに気を取られていたという過失を認めることなく、悲しみに目を背けて婚約者からも逃げるように依存の日々を送る。
かたや、ネイサンの父ダニエル(モーガン・フリーマン)は、決して順風満帆とはいかなかった自らの過去を補正するように、鉄道模型に没頭する。自らが神として君臨する87分の1スケールの世界のそこここに、夢見た理想の人生を散りばめて慰みとしているが、望もうと望むまいと彼の人生はまだ終わっていない。両親を失った孫娘ライアンを引き取り必死に育てるのだが、肉親を亡くしねじくれて刹那的な彼女の心は、老祖父や学校、社会との軋轢を生むばかりで、ダニエル は途方にくれる。
アリソンとダニエルにライアン、そして元婚約者であるネイサンの人間関係の中心には死んだ姉夫婦があって、その突然の不在がハリケーンのように彼らを引き裂いてしまう。失われた臓器が形を取り戻していくかのように、運命と不随意な行動の連なりが新しいリレーションシップを導くと、それぞれの「依存」の形がはっきりと形を取り始める。特にアリソンが自らの人生を取り戻すには、これらの依存から抜け出すことが必要である。その枷がいかにして彼女を締め付け、どのような闘いと、どのような意志と偶然が、彼女の運命に作用するのかを、観客はつぶさに目撃することとなる。
運命と赦し、依存と自立。かりそめでもいい、鉄道模型を高みから見下ろすような「神の視点」を求めたダニエル。自ら言うように「正しい人間(A Good Person)」であると言い切れるような、そんな人生を送ってきたとはお世辞にも言えない彼が、それでも抗うように自身の手首に刻んだ文字の意味をアリソンに伝える。同じように、自分を捨てた父という枷を手首にはめていたアリソンの、自室に残るピアノと水泳のメダル。低みから見上げる、そんな抗いの記録にも似た物語だった。