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ジャニーズと山下達郎の件

個人的には、どちらも「好きな曲がある」程度の人間なので、本件を経て特に改めるべき行動がない。そもそも作者と創作物は切り離して考える人間なので、Sugar Babeとか大貫妙子仕事は皆さん同様愛聴したし、今見返してもあの頃の木村拓哉の輝きは凄まじいものがあるとか、紅白で観たキンプリの楽曲が良いとか、個別に評価しているものはそらあるし、『はじまりのうた』だって『世界にひとつのプレイブック』だって、ロネッツ『Be My Baby』だって「キツい人が過去にやってた良い仕事」ってだけで、これからも評価を変えることはないと思う。その人達の仕事を、今後もわざわざ追うことはないと思うけど、ただそれは、楽しみにしているものってたくさんあるっていうだけの話。

ただ、ジャニーズとAKBは日本の文化を20年は退行させてきた、というのは俺の中で議論の余地がなく(ごめんね)、結局これだけ大きなことがあってもその構造は変わらないのだな、という絶望がある。この「文化の退行」が、ある特定の人物・組織の、ある強大な権力に対する、大忖度の末にもたらされたものであるなら、それは早急に終わらせて欲しいという願いが変わることはない。根本的に本件の登場人物(松尾潔さん含む)はその「文化の退行」について首肯するものではないと思うけど、少なくとも今問題とされているその「大忖度」に関して、山下達郎は積極的な肯定を選択したのだな、という認識が俺を絶望へと導いている。

この問題、現在ジャニーズに所属しているタレントには全く否がない問題で、それを以て出演キャンセルとか上映自粛とかを考える必要も論理もないのはわかる。「それでも、ジャニーズ、楽しんでまーす」というのは能天気だなとは思うが、責められることではないのかもしれない。しかしながら、長年に渡る未成年に対する性加害と、それを可能にしてきた構造、主に経済的優位性(主従関係)を利用した圧力によって、そうした明らかな邪悪の追求すら不可能になるという問題については、全く別の問題としてきちんと追求しなければ、「文化的な退行」だけではなくこの現代日本における「社会的な退行」から抜け出すことは出来ないだろう。倫理が力を取り戻し、この追求がなされた暁には、テレビを含む現在の日本のエンタメ業界は焼け野原のような状況になると思うが、俺はその光景の中から新しく育まれてくるものが、次の「文化」を「社会」を作り上げる姿を見たいなと心から思う立場にある。

MCATM

@mcatm

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