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VIDEOPHOBIA

モノクロームの映像が醸し出す不穏さ。濃淡に圧縮された視覚情報が、可能な奥行きを綴じ込んでいく。遠くまで見通せているはずなのに手探りのような、「謎」そのものの中でもがく主人公の狂騒が、観ている僕らにも伝播してしまったかのよう。

「見る者」と「見られる者」についての考察がつづら折りになったようなストーリーテリング。日本に生きながら通名を使うという、日本社会に根付いた捻れを抱えた主人公の「愛」(もちろん「Eye」と読める)。冒頭からPCのカメラで文字通り視姦される。俳優のワークショップに通い、「全くの他人として、どのように観られるか」という課題に向き合い続け、アルバイトでは着ぐるみを着て衆目に晒されている。印象的な大きなシロフクロウの見つめる職場の店舗では、店の女性を「見る」ことが推奨されておらず、主人公は「見る」側から「見られる」側に勧誘され続けている。

こうして、「見る/見られる」関係性が散りばめられた構造は、同種のテーマを扱った『It Follows』よりも徹底されている。ただそこにある鏡、ただそこにある眼が、否が応でもその関係性を想起させる。その最中、不穏な視線の先に、忍成修吾演じる謎の男を見つけて関係を持つが、そこにも8ミリカメラという「視線」を意識してしまうのがじっとりと恐ろしい。脚に震えが来るほど、「映画館に入る前と入った後で、見慣れた景色が変わってしまう」タイプの映画。かくして、主人公と共に、偏執狂的な霧中空間に追い込まれてしまった。

DJ BAKUの音楽も素晴らしかったし、ヌンチャクとJin Doggのコラボレーションは、その話題性に溺れることなく、完全に物語世界の円環の中で機能しているので、エンドロールの終わりまで作品世界に没入してしまう。ここまでトータルコントロールの効いた日本映画が出てくる以上、国産映画は舐められない。

MCATM

@mcatm

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