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昼は吉祥寺で何冊か本を買い、ライブ用の備品を準備する。楽器屋って、実機があるのが魅力だと思うのに、触らせもしないのってどういうことなんだろう?俺は配線のイメージをしたいのに…。と、DCアダプターのスプリッターだけ買って帰る。

夕方、下高井戸の祭り。友達を見つけたむすこと別れて、焼きそばとか適当に食べてから、近所の居酒屋。美味いんだけどちょっと高い店。高いんだけど美味い店。レモンサワーとモクテルに、焼き野菜の盛り合わせを頼んでサクッと帰るの、大人(の貧乏人)だなと夫婦で自画自賛する。

ミュウ=ミュウ主演の『夜よ、さようなら』を観る。ヒモに支配される娼婦の物語。冒頭で出会いがあり、その直後に働いていた靴屋を勝手に辞めさせられたマリー(ミュウ=ミュウ)=源氏名ソフィ。「もっと稼げる」とかそそのかされ、あまり深く考えずに娼婦の道へ。早い。おめでとう、最短記録だと思った。

かくのごときストーリーテリングの早急さは、しっかり物語全体の解像度も下げている。クズ中のクズ、人類を代表するクズの決勝レベルであるヒモの男や、娼館に通う客の酷さにフォーカスを当てる一方で、人心の揺らぎには全く無関心。ソフィとマルー(マリア・シュナイダー)がマブダチになるきっかけも過程も随分とおざなりに描かれるので、二人を繋いでいたものも、その後の展開にもいまいち乗り切れない雰囲気になってしまった。

ウラジミール・コスマによる音楽が、美しい画面を妙に安っぽいものにしてしまって、ガワだけ立派な薄っぺらい映像に見えてしまう瞬間が多々あった。ソフィとマルーを暴行した兄弟の顛末(本当に酷すぎて、ミュウ=ミュウが早々にギブアップしてくれて助かった)や、金持ち息子との「プラトニック」な関係、『ソドムの市』的なゲルマン系暴力描写など、見応えのある胸糞エピソードは良かったものの、全体としては少し残念な作品。

現代だったらもっとフェミニズム視点から、女性二人のエンパワメントにフォーカスして語り直せただろうと思うんだけど、徹底的に男目線しかなくて、そこも古臭くて辛かった。ただ、画はいいよね。本当に画は良い。

MCATM

@mcatm

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