金曜日は、久しぶりに出社してから、コンセントさんがCINRAやFlatさんと企画した勉強会に出席。CINRA時代にお世話になったエンジニアの方々と久しぶりに会っておしゃべり。飲んで帰りたかったが、むすこが一人待つ家に。iPadでアニメを作っていたむすこに、「寂しかった?」と聞くと「全然」との回答。巣立ちの時は近い。
土曜日は、一年ぶりに叔父さんの家にお邪魔。直近、池松くん仕事だったらしく、その話をちょっと聞いたり、最近観た『ふ・た・り・ぼ・っ・ち』のことを話したりした。どうやったらあんなもんができるのか?と思ったんだが、やっぱ出だしはどうでもいい話だったみたいで、それがなんであんなにエドワード・ヤンに肉薄してしまうんだろうねえ。お年玉で現金掴み取りに挑戦したむすこも大満足で、楽しく飲んで、楽しく帰った。
今日はむすこがなかなか起きてこなかったので、ひとりで『敵』と『ストップモーション』を観に新宿へ。どちらもタナトスに訴えかける傑作だった。
クレイアニメと実写の融合という側面から言うと、レオン&コシーニャ的なものを想像すると肩透かしで、アニメ作家がゴリゴリ に追い詰められていくホラー的に状況において、オブセッション的に導入されるアニメーションなので、まあ、めちゃくちゃ怖いしキモい。終演後、後ろの席の女子高生が「ぐろ…」って呟いてた。幸多かれ。
最近、Apple Musicで友達の聴いている曲がプレイリストになっていることに気付き、たまに聴いている。耳の良かった友達は、今でも断然耳が良く、こんなんどこで見つけてきたんだ?というような66年の素っ頓狂なフリージャズや、71年の電子音響ジャズ、81年の謎ファンクを引っ張り出してくる。いつまでも刺激的で叶わない、と実感。俺には、精進の余地がある、と嬉しくなる。
そんな中、俺も大好きなKarin Krog - The Meaing of Love。久しぶりに聴いた。この辺のジャズに、ここ数年かなり影響されている部分がある。白人と黒人の身体性が混じり合った感覚。この盤に関しては、ジャケットとかからもどことなくペイガニズムすら感じさせる。 そう考えると、シャーマニックなボーカルが、リズムを走らせている後半に、異様な高揚感を感じてしまう。
ケン・ローチ『夜空に星のあるように』を観てから、レコーディング。次作は、全部でA・B面合わせて24分の作品になりそうだなあ、と目算が立ってきた。既に、高揚の兆しはそこここに芽生えている。
今日はやるぞ、と決めていたので、朝から『ドラクエ3』を頑張って、昼頃にゾーマを倒した。クリア後の展開は、少し一息ついてからと思って。レベル上げが無性にやりたくなるあれ。あの状態がいずれ来るに違いないと思ってるから。
毎日のレコーディング。昨日は4トラックで一曲録り終えたが、よく考えたらそんなことしている場合じゃないぞ、と夜中に思い、今日。結局、バンジョーを録音してた。自分が今やらなければいけないことと、それを邪魔する自分、というのが今のレコーディングのテーマでもある。完璧に混乱した状態のまま、録音は袋小路に向かって快調に進んでいる。
夜に、こたけ正義感『弁論』を視聴する。弁護士業界や、法律の勉強を題材にした小気味良い漫談として、「60分もこの調子で。よくできてるよねー」みたいなヘラヘラとした態度で観ていたら、後半で様子が変わる。ここまでシリアスな題材を扱っていながら、笑いが絶えないという、このバランス感覚。よく考えたら、「副業:お笑い」タイプの芸人として舐めてかかると、い つも良い意味で裏切ってくるこたけ正義感。その見事なバランス感覚で、お笑いも社会性も成立させてみせるスキルは、ここに結実している。15日まで無料公開なので、観ておくと良いですよ。かっこよかった。
むすこの塾で吉祥寺へ行くいつもの日曜日。妻と井の頭公園を散歩してから、パルコの古本祭りで何冊か購入した後、そのままジュンク堂で現代アメリカの政治情勢についての本を買う。むすこをピックして昼飯を食ったら、美容院に行く妻と別れて、新宿のビックカメラ。むすこがガチャガチャ物色している間に、ダイナミックマイクとモニターヘッドホンを溜まっていたポイントで購入。二人でバルト9で『ビーキーパー』観て大満足。帰宅してから、麻婆豆腐作った。良い週末。
有言実行で、今年は毎日レコー ディングしてる。普通にやれば2ヶ月もあれば完成する音源なのだが、今回は手法から吟味しているのでやたら時間かかる。まあ、いつものこと。音の良し悪しを度外視して、アイディアを形にする速度に賭けています。
『どうすればよかったか?』
昼は一時抜け出して、テアトル新宿で話題の『どうすればよかったか?』。今年、映画館初め。統合失調症の娘を抱えて四半世紀を生き抜いた監督の両親。少しずつ歳をとっていく三人を捉えるカメラのこちら側、私たちと同じ方向から家族を見つめている監督もまた、同じように歳をとっていく。その事を意識してしまって、少し気が遠くなった。
とんでもないことが起こることを「爆発」と定義した時、この映画の中の状況はじっとりと重油が染み込んで重くなり、前にも横にも進めなくなってしまった「事態」。酷く恐ろしい時の流れが描かれるのに、邪悪な人間は存在せず、我々と同じ普通の人が常軌を逸しているという結果だけが延々と映し出され、遠く離れた監督がそのほんの一部を炙り出す。そうした「カリフォルニアから来た娘症候群(突然遠くからやってきた親戚が、家族の問題をめちゃくちゃにしてしまう現象)」的な側面もあり、「どうしたらよかったのか?」という設問は、まずは両親に、次に監督、そして我々観客に、それぞれ投げかけられることとなる。
「どうしたらいいのでしょうね?」という『システムクラッシャー』と近い発問が、タイトルとして投げかけられたところに重要な価値があるし、この映画が多くの耳目を集めた勝因だったろうと思う。個人的には、父親の最後の言葉(当然、そう思っているだろうと感じた)以上に、「論文」に固執した姿に衝撃を受けました。
余談ですが、序盤で映し出された監督の大学時代の写真に、まんじゅう大帝国のツッコミが突然立派な髭を蓄えて現れた時に似た衝撃を感じてしまい、ちょっと笑いました。終始重苦しいこの映画、一服の清涼剤となった。
ガッポリ建設の出た『ザ・ノンフィクション』観たよ。誇大妄想的、利己主義で怠惰、という生きづらさを抱え、色んな人に迷惑をかけながら図々しく生きていくクズ、という建て付けで観ると邪悪なエンターテイメントとして楽しめるのだが、俺は結婚してなかったらこの人に近い生活だったんだろうな…と異なる世界線の自分に想いを馳せてしまう。一緒に見ていたむすこに、この人の何がダメなのか、を解説しつつ、「クズだったとしても、自分の好きなことに夢中な人は、それでも魅力があったりするんだよ」ということも教えた。この人がダメなのは、怠惰に負けて、好きなこと(お笑い)にもきちんと向き合えてないところだよ、と思った。
Mk.gee - Rockman
最初はGotye的な「Stingの擬似息子」な側面もあって「おや?」と耳を傾けたんだけど、今時ここまで真正面から「ギター」なる楽器に向き合った音源も珍しいなーと思った。この映像見ても、発想としては極めてミニマムな構成で、宅録の風情が漂っていてとても良い。シンプルだけど歌詞も良いと思った。Frank Oceanが取り上げていた1stアルバムの頃は、そこまでの特異性はなく、ただ良い密室R&Bって感じだったのだが。
私用が立て続いて、なかなか仕事に取り掛れなかった日。ようやく本腰入れると、うわーやらなきゃいけないこと全然終わってなかったー、と焦って、終業後も色々タスクこなしてしまう悪循環。就業時間に集中しましょう。
Georgia Gets By - Madeline
なんとなく、Georgia Gets Byのアルバムを繰り返し聴いてしまった。そもそもこの人の所属しているBroodzっていうデュオも知らなかったのだが、妙に洗練されたポップスにポッと出じゃねえな、という雰囲気を感じた。強烈な引きがあるわけではないのだが、フックが効いていて、気づいたら癖になってる感じ。
そうこうしてたら、突然22%オフになってたもんで、溜まっていたAmazonポイント使って、いつの間にかマイク買ってた。
『エイリアン:ロムルス』
Disney+で、『エイリアン:ロムルス』を視聴して、めでたく今年も映画初め。映画館で見逃したのが悔しい、ただただ楽しくスリリングに観れた。娯楽映画はこうでなきゃなー。
流れ的には1の焼き直しになっていて、これはおそらく意図的。『プロメテウス』以降の起源掘り起こしもの=「マイケル・ファスビンダーの『エイリアン』」も好きだが、この手のドキドキスリラー活劇、vsゼノモーフの『エイリアン』にも続編があって良いと思った。こんなん、いろんなパターンできそうですよね。
『プロメテウス』以降(ちなみに俺は、3と4が未見である)に改めて明らかになった「ウェイランド・ユタニ社」に代表されるディストピアSF的な「道徳ゼロ」空間が、背景として効果的に機能している。前半の肺を病んで死んでしまうぐらい過酷で文字通り「光のない(厚い雲が太陽を隠す)」植民地の描写も心底絶望的で、その強烈な圧で飛び出してしまうような、そんな不可抗力が若者たちをゼノモーフやフェイスハガーたちのたむろする廃墟となった宇宙ステーションへと誘う。この辺の導入も見事。
重要なキャラクターであるところのアンドロイド=アンディと、主人公のレインのつながりの強さが物語の重要な鍵を握っているのだが、アンドロイドは元々ユタニ社のものなので、操作一つで簡単につながりは断ち切られてしまいそうになるという設定の妙がある。ただ、このつながりが、物語の都合に合わせて強度を変えてしまうところが難点かなーと思う。命顧みないレベルのつながりがあると見せかけて、「あれ?そんなにあっさり見捨てていいの?」と不可解に思える主人公のムーブはちょっと気になった。(難点で言うと、編集の結果、とんでもなく意味不明になってしまったシーンがあって、あれは逆にちょっと笑ったかな。ゼノモーフから銃を持って逃げるシーンの切り替え部分)
とはいえ、何度も何度も観て、もう慣れてしまっているシリーズにおいて、登場シーンでハッとするほど不気味だったり恐ろしく感じられる描写があったのは素晴らしい成果。終盤の展開も、「ユタニ社はマジでこれ、どうするつもりだったんだ…?」と会社の判断にも特大の疑問符が投げかけられるぐらい盛大に歌舞いていて、いやー楽しいパニック映画だった!この路線でもまた一つ!
Jessica Risker - I See You Among the Stars
言ったつもりでした、あけましておめでとうございます。今年は、シカゴの女性SSW・Jessica Risker、2018年のアルバムでスタート。枯れた70年代アシッドフォーク風情(Vashti Bunyanっぽい?)のジャケット通りのイメージと言えばそうだが、どことなく神経質な鳴りも感じさせる。思ったより声が高いのもその要因なのだろうか。もっと嗄れてそう、って謎の第一印象かもしれんけど。そのおかげで、比較的ポップに飲み込めるフォークソング集。
「Cut My Hair」って、Pavementのあの曲を思い起こさせる。凝った割に稚拙なMVも良い味出してる名曲。
https://music.apple.com/jp/album/i-see-you-among-the-stars/1344904790
My Best Contents 2024
今年も残すところあと三分。今年はアウトプット控えめに、とにかく言い訳できないぐらいインプットしてやろうと心に決め、結果450本も映画を観ることができた。それで分かったんですが、この定額配信時代、映画を沢山観るだけなら誰でも出来る。そこから何を受け取り、何をアウトプットするかが一番重要で、それ以外は本数に何の意味もないです。それが分かってよかった。来年はゴリゴリアウトプットしていきますので、何卒よろしくお願いいたします。
俺デミー賞2024
10. システム・クラッシャー
自らの怒りを制御できない子どもを前にして、大人は如何に振る舞うべきか、我々の倫理観も問われる物語。全ての甘い退路が一つずつ潰れていく絶望感。この作品は、安易に答えを出すことを許してくれない。
https://www.rippingyard.com/post/Ed6U2ECq33oatdLJnUIO
9. フォールガイ
この手の映画が好きだった母親のことも思い出してより感情が昂ってしまったのはあれど、あの頃、こういうイカした映画って沢山あったよなー的錯覚(今も良い映画は沢山あるので)に陥ってしまうぐらいの、突き抜けたアクション快作。
https://www.rippingyard.com/post/9HIiBgQgOMKy9WtVJLqr
8. インフィニティ・プール
ディストピアSF的な設定の妙とか、脚本の良さもあれど、それを上回る暴力的なテンションといいますか、作り手側の過剰な昂りを感じてしまう。現代最強女優の一人、ミア・ゴスがそれをさせている。
https://www.rippingyard.com/post/o8mcsYMKJfaSf3SUvdRG
7. 悪は存在しない
世界の混沌を見かけ上の静謐に押し込める。直前に観たゴダールとも見事にリンクした、淀みの連鎖。この毒に対する観客各自のリアクションが、ラストの解釈の多様に結びついていくのではないか。
https://www.rippingyard.com/post/ff4zDJvQaG8X6y8axqci
6. 二つの季節しかない村
ヌリ・ビルゲ・ジェイランのことは、半分ギャグ作家だと思ってる。ここまで性格の悪い人間が主人公だと、ここまで場が荒れるのだ、と感心。3時間は敬遠しがちだが、超性格悪い人の滑稽な所作が観れるとなるとこれでも短いのではないか?
https://www.rippingyard.com/post/QxaIPEtXwjw2iHAncx8W
5. 夜明けのすべて
素晴らしい演技、素晴らしい脚本、素晴らしい撮影に加えて、素晴らしい事後鼎談。なんか他に言うことある?客観的に見ると、今年の邦画ナンバーワンだと思う。
https://www.rippingyard.com/post/NRhfrQ8vDQVGkq8C8KRS
4. 墓泥棒と失われた女神
『チャレンジャーズ』に続けて、俺の中でジョシュ・オコナーの名が特別なものになった(『ゴッド・ オウン・カントリー』も素晴らしかった)。今後もとんでもない映画を撮り続けるであろうアリーチェ・ロルヴァケルにとっては、通過点なんだろうなあ。
https://www.rippingyard.com/post/PeKiy4Ip6gXien7w3olR
3. 憐れみの3章
若輩者の俺はまだまだ深淵には迫れなかったが、その後、レビュー読んだり、町山さんの解説を聞いていたら、古代ギリシャ悲劇に通じていればもう少し理解は進みそう。こういう世界の広がりを感じさせてくれる作品が好きだ。個人的にはランティモスのベストかなーと思う。
https://www.rippingyard.com/post/yVYIowg4AOyU4OqyO2t9
2. 若武者
どうしても外せなかった一本。ここで展開される邪悪な屁理屈と、シンプルな日常描写は、鋭利な現代日本批評になっていると思うし、それをここまで直感的に面白く料理できるのはかなりの手腕だと改めて思う。
https://www.rippingyard.com/post/C4XFoBPQerLUpTBMg5oZ
1. グレース
圧倒的。視覚的な美しさと、肥溜めの中に咲く花のような瞬間が見事に交差して結びついている。こういう体験をするために、俺は映画を観ている。
https://www.rippingyard.com/post/DJbmrdFrBkk5mRsYkvk5
よく聞いた音楽
youra、Tyla、Caoilfhionn Rose、ナルコレプシン、デキシードの新譜、Geordie Greep、JW Francis、山二つ、fantasy of a broken heart、Bananagun、ALOYSE辺り。中でもベストアルバムは、Being Dead「Eels」。
印象的だった本
レイモンド・カーヴァーや今村夏子を再発見したり、相変わらずJホラーが充実してたりと色々ありましたが、特に印象深かったのは、ナージャ・トロコンニコワ『読書と暴動』とか、野矢茂樹『言語哲学がはじまる』、『優等生は探偵に向かない』辺り。
濱口竜介『悪は存在しない』/水は低きに流れる
手負いの鹿は襲ってくるかもしれない。子連れならなおさら。
ほとんどが八ヶ岳の麓で撮影されている本作。妻が八ヶ岳出身のため、それこそ色んな話を聞く。地元民と移住者の話、開発業者やサービス事業者にまつわる話。そんな自然豊かな村に、グランピング施設を建設しようと目論む企業がやってくる、というあらすじを聞いた時に感じた、いわゆる「田舎vs都会」的なクリシェかなと思うと、全くそうではない。冒頭の長回しから連想したズビャギンツェフ、特に『裁かれるは善人のみ』的、暴力的な物語を予想していても、その予想は軽やかに否定されてしまう。むしろ、HBO『ザ・カース』的な、「善人であるという偏見」についての物語ではないか。人を襲わない鹿。この鹿が、人を襲うことはあるのだとしたら。
主人公の巧は、薪を割り、水を汲んでいると、公民館に預けている一人娘の花(はな)を迎えに行くのを忘れてしまう。慌てて森の中で追いつくと、帰り道 すがら、森の植物や、動物の死骸や足跡を観ながら、二人の時間をゆっくりと過ごしている。果たして、巧の存在を自然と共生する純粋な善人として処理して良いのだろうか。そんなことはない。彼も一方で立派に収奪しているし、そのことに自覚的である。
グランピング施設の建設話は、唐突に持ち込まれる。区長とうどん屋の夫妻、地元の若者といったいつものメンツとしめし合わせてその説明会に参加すると、そもそも芸能事務所がコンサルに言われて企画したコロナ禍における補助金目当ての事業であることが知らされる。その場で計画のずさんさが明らかになると、場は混乱して一旦解散となる。客観的に見れば、巧の取り付く島もないぶっきらぼうさや、金髪の若者・立樹の攻撃的な姿勢だって、決して褒められるようなようなものではない。なにせ、対話は成立していない。対話を成り立たせようと尽力していたのは、うどん屋の女性や、区長、そして会社側の黛だけであった。
たまたま前日に観た『アルファヴィル』の中で、「悪意は存在しない」という一節が差し込まれていて、本作のあまりに率直なゴダールのスタイル模倣だけではなく、重要な意味の収奪があると感じた。段になった排水路を凄まじい勢いで流れていく雪解け水。鹿の水飲み場でトゲに刺さって流れた血。何らかの問題が起こる時、それは何か邪悪な存在が悪意を以てそれを為すのではなく、それを悪とも思えないようなちっぽけな問題の積み重ねが、大きな問題となってしまう。上流で起こした間違いは、下流に溜まって、大きな問題となる。だから、上流に生き るものには、責任が発生する。
芸能事務所のマネージャーだったはずが、何の因果かグランピング施設の担当者となってしまった「高橋」は、都会に住む自分たちの似姿である。マッチングアプリの成果に一喜一憂し、無責任で横暴な計画に正義感から立腹し、しかしながら上司やコンサルには物申せず、後輩には無責任に退職を勧め、自らの身の振り方も考えてしまう中年男性。それは、おじさんであろうと、新卒の女の子であろうと関係ない。上流の汚れで汚れてしまった身体を、より下流で洗い流そうとする者たちすべての代弁者である。そこで落とした汚れは、どこに行くのか。
「追い出された鹿は、どこに行くんだ」。終始ぶっきらぼうな口調で真意を掴み難い巧の言葉が車内に響き、タバコの煙の中で皆が沈黙してしまう。汚れを含んだ水が、下流で毒と化す。最高に不可解なラストの解釈は観客の数だけ存在している。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『二つの季節しかない村』
決定的な出来事が起こり、怒髪天を突いた翌日。生徒や教師たちへの不信をMAXにたぎらせて、雪降る学校に真っ黒のグラサンをかけて参上する美術教師・サメット。一時が万事、卑屈で嫉妬深く、リベラルな知的階級を気取るが、衝動的で権威主義。最低キャラのフルコースを地で行くような男が、壮大な自然に囲まれた僻地である村を憎み、心の底から軽蔑し、そこから出ていくことだけを望んでいる(こんなやつが主人公とは先が思いやられる)。そんな心性だから、「お前たちは一生ジャガイモでも作ってろ」とか、平然と田舎者を小馬鹿にして高圧的な態度を崩さないのだが、一方では強烈に尊敬されたがっている。その様は、村に駐在する軍人の権威的な姿とも重なるのだが、そんな軍人とは実際に業務時間中用事をかこつけては執務室に赴き、サッカーゲームを対戦プレイするようなズブズブの仲。獣医の診療所や、職員室など、至る所でこの種の抑圧的なコミュニケーションが散見されるが、そんな構造をさらに俯瞰して軽く冷笑してみせる主人公も、その構造から最大限の利益を享受している受益者であるのに、本人はそのことに本気で気づいてすらいないだろう。そんな彼が「結婚には興味がない」とうそぶくその理由は明らかにはならない。街を憎む気持ちが、義足の女性教師・ヌライに指摘されたように、行動が出来ないのか、それとも。…嫌な予感が頭をよぎる。というのも…。
依怙贔屓を指摘されただけで激怒するぐらいに入れ込んでいた、教え子の美しい優等生・セヴィムへの偏愛は、ある事件をきっかけに音を立てて憎悪にひっくり返ると、学校はさながら地獄の顕現と相成る。こっそり彼女にだけお土産を買っていくなど、日頃良くしてくれている自分に対する恋文と思ったのか、彼女から没収した秘密の手紙をこっそり読んで止まらないニヤニヤを隠して、「手紙は読まずに処分した。細かく裂いたから安心しろ」などとしかつめらしく何度伝えても「手紙を返して欲しい」と生徒は不信を隠さない。このちょっとしたいざこざがエラい騒ぎに発展すると、愛情は反転し、ひたすらに暴力的なコミュニケーションが生徒たちを圧倒する。
こうした抑圧的で権威主義的な心性は、女性教師・ヌライとの会話の中でも顕になっていく。隣にいるお前よりも優れていることを証明したいというだけの下心で以て近づいてくるサメットに対して、ヌライの言葉は冬の寒空を吹き付ける氷の礫のごとく鋭く痛い。その痛みを隠すように、何もかも知っている自分は、当然ヌライの考えているようなことは全部わかっているので、お前のやること考えることには何も意味がなく、何をやっても無駄なんだ、という理屈で彼女の理想や行為を否定しにかかるサメットの闘いは、予想に反して防戦一方である。自分は高みにおり、当然全てを知っているはずだから、預かり知らないところで何かが起こっていることに我慢ならない主人公の心性に、服薬でもしなければやってられないぐらい、演じる役者ですら耐えられない(という描写としか判断できないシークエンスがある。仰天しすぎて吐くかと思った)。結局、自己中心的である、ということなんだと思う。それも病的に。
この村には、季節が二つしかない。草は生えてすぐに黄色く色づいてしまう。どこにマイクを仕込んだんだ?と思うぐらいの音量で鳴り響く息遣いや衣擦れ、目線や表情が、セリフ以上に感情を物語る3時間17分。あっという間でした。