『スキナマリンク』すげえ観にいきたいんだけど、グッと堪えて今日は『ファーストキス』を観に行きます。TOHOシネマズの無料券が明日までやねん。
最近、マジで例えば炎の動画ばかり観てる。
この敗者復活動画でひとしきり爆笑した後、本人たちによる解説動画を観る。
全くウケていない8階建てのアパートの件で、50秒使い、挙句タイムオーバーしてるの面白すぎる。タイムオーバーの警告音なってるのに、全く必要のない「来いよメン来いよメン」繰り返してるの面白すぎる。こういうほころびにしか未来はないよ、本当に。
Mamalarky - "#1 Best of All Time"
Mamalarky新作がエピタフから出るっつうんでちょっとびっくりしてたんだけど、アルバムに一曲は差し込まれる脱臼したまま大爆走するような曲がファーストカットで最高な気分に。Mamalarkyって、Livvy Bennettのソロ作的に作られる(多分)ホームテーピング的な曲と、ぶっといリズム隊と色彩豊かな鍵盤奏者に囲まれて弾きにくいコードを力技で展開していくタイプの曲、大きく分けると二種類あるんだと思うんすけど、これ は後者。特にリズム隊はどんどん良くなるなー。
ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』
大傑作ミステリー『自由研究には向かない殺人』から始まった三部作完結編。二作目『優等生は探偵に向かない』は流石にパワーダウンしたかなと思わせるも、いやいや単体で見たらかなり手の込んだミステリーで満足度は相変わらず高かった。
ほんで本作。一気に読み終えてしまった。この呆けてしまうようないつもの読後感よ。大傑作。一作目とは全く違う意味で。
ネタバレを避けるとほとんど何も言えないのではあるが、しかしながら、こんな展開になるとは誰が予想できるのか。こういう作品は確かにさほど目新しいものではないが、ピップ&ラヴィをはじめとするリトル・キルトンの愉快なメンツに心底愛着を持った状態の我々に対してこれを仕掛けてくるのは心底大胆だと思う。すごかった。
謝辞で著者が「わたしを信じてくれてありがとう」と述べている通り、よほど信頼していないと読み進めるのもきついダークな展開。ホリー・ジャクソンはとても倫理的な作家だと思っているので、俺はそこに賭けて読み進めた。ラスト一ページのカタルシスたるや。確かに次作はほぼあり得ないと思うし、それが心底寂しいのではあるが、堂々たる完結編でした。ほんと、この街は、闇が深すぎたぜ。
あと二曲、何にするか迷っている状態。英語で書いていると、貧弱なボキャブラリーに比例して視野が狭くなるので、同じテーマで日本語なら何を描くか、自由に書いてみる。その発想を英語詞に生かしてみる、という連続で作詞作業が進んでいく。
人生について色々考え期。にしても色々なことを進めている。音楽は、次に進みたい欲をグッと我慢して、一通り歌詞を書ききる期間。2月末までには、すべて書き切る所存。それが終わったらドラム録り。新しい楽器も試しつつ、4月からは秘密の儀式が…。
アンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』。アティカス・ピュントシリーズや、ホームズなど、文句言いながらほとんど読んできたが、ホーソーンシリーズのみならず、ホロヴィッツ史上最高傑作なのではないかと思う。ホーソーンシリーズの一番の欠点は、ホーソーンがとにかく嫌なやつで、いくらなんでも愛着を抱けない、というところにあると思う。本作はそこが見事に克服されていた。しかも、今までと態度を一切変えることなく。
トリックについても、至るところに不穏の影が仕込まれていて、しかも最後にはそれらが見事に像を結ぶ。素晴らしい読後感でした。
先週の金曜日から、普段に比べて、人とたくさん会って話す機会を得た。パンポテ解散に伴ってお笑いの話から、陰謀論の話。げんき映画の会で、映画の話。前の記事にあった会もそう。普段から考えていることが、頭の中で拡張されたような感覚がある。
その流れでSubstackを触って、あまりに近未来的なPublication(出版)のあり方に衝撃を受けた。そのまま、しばらくSubstack内で記事を読んでいて思ったのが、結局どんなサービスが出てきても、Twitterがイーロン・マスクの手によってボロボロにされたように、経営方針や社会情勢に応じて形を変える以上、自分(たち)の場を仮託することはできないということ。要は、インディペンデントであり、オルタナティブであり続けること、いつまでも主観の場であり続けること、というのがとても大事。Claire RousayがSubstack内でそんなことを書いていて、まさに我が意を得たりの感触があった。
「実験的にポッドキャストを録ってみよう」とオンラインで集まり、結局喋りがダラダラし過ぎているため、ポッドキャストとしては使えないが、とにかく視点が整理できてよかった。背景に「徐々に明瞭になってきた、加速する資本主義への恐怖」があり、その上で大事なものを指折り数える。主観の大切さ、「ほころび」、 不安を愛すること。
俺ら世代には断然『Endless Summer』だが、Fenneszの新作が良いというので、聞きながら作業している。
ライナル・サルネ『エストニアの聖なるカンフーマスター』/世界中から礫を受けても
そもそも、ここに「女」の影はあったのか。革ジャン三人組のカンフーマスター。担いだカセットデッキで再生するブラックサバスをバックに、ソ連国境で大暴れする長髪グラサンの彼らからヌンチャクを授かった主人公。その日からカンフー道の明け暮れ。異様にノリの良いソ連製ディスコミュージックをバックに大暴れするも、返り討ちにあってボコボコに。それから色々あって、カンフーやっててかっこいい修道院にお世話になることに。
マジで、登場人物たちの行動原理が一から十まで理解できず、「今は、何をどうするために何をやってるんだっけ?」と終始迷子。魚屋にタコ買いに行ったら、コンクリ詰めされてるような気分。画がバッキバキに決まってる分、そこに何かあるはずだと信じて開いた扉の向こうには…何もない。しかし、虚無ではない。とにかく芳醇なから騒ぎが120分近くフル尺で 繰り広げられるのでたまったもんじゃない。大好きだ。全ての映画、このテイストで作り直してくれ、とおかしな妄想に囚われてしまった。『テネット』とか、このノリで作ってたらもっと面白かったはずよ。エリザベス・デビッキを缶詰のトマトぶち撒けた上に座らせてさあ…。
世界観の鍵を握るサバスの使われ方は極めて記号的で、実際の劇伴はもっとマヌケな電子音楽の世界。超絶かっこいい(予告編もこっちのノリの方が良かったのに)。クレジット見たらgoatの日野浩志郎さんとDMBQの増子真二さんが担当とのことで、どういうこと??好事家には『痴漢ドワーフ』とか思い出していただければ。特にエンドロールで悶絶したわ。もう決めた。皆が石を投げても、俺は全力で庇うよ。
進めていたレコーディング、ついに今日、全部のベーシックトラックが出来上がる(すごい!えらい!)。しかし、わだすたちの場合、ここからが本番。いつもは、ベーシックトラック作って、歌詞書いて、メンバーに各々楽器録音してもらったの集めて、編集して終了、なんだけど、今回は、ここから歌詞書いて、メンバーと録音したりしながら、同じように4トラックのMTRでレコーディングして、隙間に出来た曲を別トラックに展開してサウンドトラックを作り、いつもの長い長い編集を経て、別々の曲にバラしてから、再度配信用のレコーディングを行う(予定)、という長い道のり…。まずは、一曲、配信シングルとして夏前に公開するのを目標として動く。
Mount Mural - World
今日はこの曲を一日聴いていた。オープニングで淡々と盛り上げて行く手法が好ましいなあと思う。全体の平熱さが際立つ。4年前の曲なんすね。
金曜日は、久しぶりに出社してから、コンセントさんがCINRAやFlatさんと企画した勉強会に出席。CINRA時代にお世話になったエンジニアの方々と久しぶりに会っておしゃべり。飲んで帰りたかったが、むすこが 一人待つ家に。iPadでアニメを作っていたむすこに、「寂しかった?」と聞くと「全然」との回答。巣立ちの時は近い。
土曜日は、一年ぶりに叔父さんの家にお邪魔。直近、池松くん仕事だったらしく、その話をちょっと聞いたり、最近観た『ふ・た・り・ぼ・っ・ち』のことを話したりした。どうやったらあんなもんができるのか?と思ったんだが、やっぱ出だしはどうでもいい話だったみたいで、それがなんであんなにエドワード・ヤンに肉薄してしまうんだろうねえ。お年玉で現金掴み取りに挑戦したむすこも大満足で、楽しく飲んで、楽しく帰った。
今日はむすこがなかなか起きてこなかったので、ひとりで『敵』と『ストップモーション』を観に新宿へ。どちらもタナトスに訴えかける傑作だった。
クレイアニメと実写の融合という側面から言うと、レオン&コシーニャ的なものを想像すると肩透かしで、アニメ作家がゴリゴリに追い詰められていくホラー的に状況において、オブセッション的に導入されるアニメーションなので、まあ、めちゃくちゃ怖いしキモい。終演後、後ろの席の女子高生が「ぐろ…」って呟いてた。幸多かれ。
最近、Apple Musicで友達の聴いている曲がプレイリスト になっていることに気付き、たまに聴いている。耳の良かった友達は、今でも断然耳が良く、こんなんどこで見つけてきたんだ?というような66年の素っ頓狂なフリージャズや、71年の電子音響ジャズ、81年の謎ファンクを引っ張り出してくる。いつまでも刺激的で叶わない、と実感。俺には、精進の余地がある、と嬉しくなる。
そんな中、俺も大好きなKarin Krog - The Meaing of Love。久しぶりに聴いた。この辺のジャズに、ここ数年かなり影響されている部分がある。白人と黒人の身体性が混じり合った感覚。この盤に関しては、ジャケットとかからもどことなくペイガニズムすら感じさせる。そう考えると、シャーマニックなボーカルが、リズムを走らせている後半に、異様な高揚感を感じてしまう。
ケン・ローチ『夜空に星のあるように』を観てから、レコーディング。次作は、全部でA・B面合わせて24分の作品になりそうだなあ、と目算が立ってきた。既に、高揚の兆しはそこここに芽生えている。