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阪元裕吾『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』/死神との戦いに手を差し伸べる者

序盤で素性の知れない最強の敵・冬村(池松壮亮)と戦い、かつて放った必殺技すら見事にかわされて敗北してから、まひろ(伊澤彩織)が終始戦い続ける死の恐怖。それとは対照的に描かれているのが差し伸べられる手や小さなタオルであり、それらが示す「救い」を、「屈辱」と捉えていたまひろ。かつて、その純粋な「救い」の力を冬村に見せた子どもが殺人鬼・冬村によって殺されているのか、難を逃れているのかは想像するしかない。どちらにも可能性は開いている。ただ、ある種求道的で「意識の高い」殺人鬼である冬村が細やかで豊かに描かれているからこそ、想像の余地が与えられているとは言えるのではないか。

途中から、冬村かえでが主演の犯罪映画に、ベイビーわるきゅーれのメンバーが参戦してしまったような(孫悟空がペンギン村に赴く感じ)、そんな印象を受けるほど強烈で、「サイコパス」「狂気の人」とか、その逆の「ビジネスライクな殺し屋」みたいな、紋切り型では描かれない堂々たるヴィラン。そうした「紋切り型」に対する挑発は、冬村の部屋での「邦画の悪役」に関するやり取りなどに垣間見れる。あそこで揶揄される「なんかぼそぼそ喋るタイプの悪役」って、いかにもかつての池松くんに期待されそうな役柄だけど、ここ数年の池松くんがそのパブリックイメージをきちんと乗り越えたのを知っていると、このやりとりがすごく挑発的なのがわかる。「ぼそぼそ喋る」というステレオタイプを乗り越えたからこそ、最初の遭遇シーンで突然激昂して怒鳴る冬村に、ちさまひも僕らも一瞬気圧されてしまうのである。

で、結局、あの人、何の人なのかわかりました?とにかく向上心が高く、しかしその向上心の先に何があるのかはさっぱりわからず(部屋の張り紙を読み込めば見えてくるのかもしれない)、経験は浅く独学でめちゃくちゃなのだが、身体能力は化け物。それを池松くんが完璧に体現して、本職のスタントアクターである伊澤さんとやり合って時に凌駕しているように見せるのも、なんか凄すぎて怖い。そしてとにかく孤独。本編を通して語られるこの「孤独」というテーマが、「僕の言ってること、飲み込んでもらえましたよね!?」という傑出した吐露や、入鹿みなみ(前田敦子)の欠落に表出してしまう。そこで燦然と光り輝き出すのが「ちさまひのバディ感」であって、つくづく見事な演出だったと思う。結局、ちさまひの映画だったよ。ちゃんと。

序盤、いつもと空気が違ってて、少し不安に感じていたんだけど、その理由はわかる。殺しのキレとゆるい日常の対比というベイビーわるきゅーれの魅力が、「宮崎出張」で浮かれる二人の非日常下では半減してしまっていたから(ドラマ版との対比が意識されすぎていたのかもしれない)。海水浴のシーンは、(なぜか)えらい感動的でもあるんだけど、それと同時に「いつもと違う」という雰囲気がまとわりついている。だけど、挿入される前日譚における殺陣は、飛び上がるぐらい素晴らしくて安心させられる。

総じてアクションシーンはとんでもない出来。『ザ・レイド』を初めて観た時の感動に近いかもしれないが、当然動きは全般的にアップデートされている。特に宮崎県庁の廊下での小競り合いについては、ため息が出るほどの美しさで、指先まで力が入り劇場で丸くなってしまった。ちさと(髙石あかり)のアクションも存在感を増していて、改めてベイビーわるきゅーれって、髙石さんの成長を見る機会でもあるのだな、と実感。

結局「死の恐怖」は最後の最後まで手を緩めないので、死んだ後のことまで想像してしまうまひろを、ちさとが現実に引き戻すシーンは、もう一つのクライマックスだったと思う。死神との最終決戦。こうして、とんでもないアクションの現場で、「孤独」をテーマにした物語が衝突する。この恐怖に、共に立ち上がり、共に抗わんとする者がいる、ということがちさまひの「達成」であり、それが最後の最後のセリフに現れるわけだから、こんなに素晴らしいことはないと思い、震えて席を立った。邦画史上に残るアクション映画であるのと同時に、キャラクターに深みが感じられて長く咀嚼出来る、本当に素晴らしい「映画」だったことを記憶しておきたい。

MCATM

@mcatm

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