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周回遅れでNetflix『トークサバイバー』シーズン1を観てる。あと一話を残し、芸人のエピソードトークに笑いながらも、「グローバル企業であるNetflixに、いざ日本の”一流”クリエイターが番組の企画を任された時に、これを掲出するということの”貧しさ”」について思いを馳せてしまった。「さすがNetflix。豪華キャストに、豪華セット」じゃないよな、と思う。貧しさ。ドラマ、ちゃんと作れ。

短歌を読もうと思い、家にあった伊舎堂 仁『感電しかけた話』を読む。短歌ってサクッと読めると思いきや、意外と自分が試されていると感じる。特に評価の定まっていない作者による、理解できない短歌に出くわした時、その理解出来なさが、自分の感受性や知性に起因しているのか、それとも作者の力量不足なのかがわからないので、パズルを解く時のように向き合う必要があるからである。本作は、短歌や詩がお笑いとダイレクトに繋がっていることを十分に証明するものであって、笑ってしまうものも、情景を思い浮かべてしまうものもたくさんあってよかった。装丁をポテチ光秀が担当してた。

むすこと一緒に『ジャッリカットゥ 牛の怒り』を丸々観てしまった。この映画を小学生に説明するのは難しい。「水牛の逃亡というモティーフを通じて、人々の獣性を表現している…のかもしれないね」「老人が最後に見た水牛は、すなわち死にゆく瞬間を描写していた…のかもしれないね」みたいな話をできるのが、むすこと映画を観る良さである。表現したいことが溢れ出してしまったかのようなラストが素晴らしい。

むすこが眠ったのを確認して、ポランスキー『反撥』(視聴済かと思ったら初見だった)。『昼顔』『シェルブールの雨傘』出てるってやっぱすごすぎないすかね、ドヌーヴ。影のありすぎる美女。

MCATM

@mcatm

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