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DAU. ナターシャ

激しく尊厳を傷つけられた夜の街を、ナターシャは一人歩く。その背後を、獰猛そうな犬を連れた軍人が歩いている。

『DAU』がどれだけ気の狂ったプロジェクトかというのは、色んなところで言及されている(Indie Tokyoの記事が一番重厚かつ面白い)。一言でいうと、一連の映画作品を作り出すために、旧ソビエト連邦における一地方都市を現実に構築し、更に驚くべきことに運営までしてしまったという代物。要は、この映画に出てくる主人公のナターシャ含むカフェ店員は、プロジェクトにコミットしている期間中、実際にこのカフェの店員として働き、スタッフ(彼/彼女らもこの架空都市の住人として存在している)やキャストに料理をサーブし、店を掃除したりしていたのだ。俺が監督だったら、骨までしゃぶり尽くすライフワークにするはずだが、もうこのプロジェクトは解散しているとのことで、潔いなあ。その虚構の都市に存在する研究施設に併設されたカフェが、本作『DAU ナターシャ』の舞台である。

前半ではカフェに通う客とそこで働く人達の日常が描かれ、後半では秘密警察による拷問が描かれる2時間40分…と聞くと、娯楽性に乏しいトーチャーフィルム(主に観客に対しての…)と考えてしまいがちだが、実際の印象はそうではなかった。ロケーションは大きく5箇所、シーンも数えるほどしかないこの物語は、しかし豊かにこの都市に暮らす人々の自由と不自由を描き出す。

ナターシャは愛について語り、後輩のオーリャに対して人生訓を垂れる。酔ったオーリャは、ナターシャに悪態をつき、二人は取っ組み合いの大喧嘩をするが、普段はおおらかで高らかに笑う。フランスからやってきた科学者・リュックと一夜を共にしたナターシャが、バスタブに浸かりながらオーリャと語らうシーンに顕著に現れるリラックスした態度。ナターシャは、後輩のオーリャに対して、酷い扱いをしながらそれを後悔したり、孤独や若さに対する嫉妬を感じたりしながら、それでも親しみを感じているのではないかと思う。しかしオーリャは?

「映していないところまで描く」。この映画の真に驚愕すべきは、この世界構築への執拗さであることは疑いようもない。しかし、まさにハンナ・アーレント的な「凡庸な悪」の再現としての一つの物語が持つべき繊細さ(そしてそれはすべての映画が持つべき繊細さである)、それも人並み以上の水準を持っている。

狂乱の一夜から秘密警察への連行まで、ナターシャの過ごしたなんでもない数日〜数週間はズバッと刈り取られ、そこにあったであろう物語も観客の想像力がボールを持たされている。密告したのは誰なのか、科学者たちの行動に何の意味があったのか、あの酒宴の場にいた軍人たちは何を思っていたのか。そうした推測、憶測に対して、ナラティブは機能を止め、ただ押し黙った背景だけがそこにある。その凄みに魅了された。ここに出てきたキャストたちの一部が再登場するという他の『DAU』シリーズ作品も、追ってみようと思います。

MCATM

@mcatm

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