Post

青山真治『EUREKA/ユリイカ』/円環と失われた声を求めて

青山真治さんが亡くなるという悲しい出来事がきっかけで、あの『ユリイカ』を映画館で観る機会を得た。2000年代初頭の東京(周辺)で20代を過ごした皆さん同様、僕らも少なからずジム・オルーク狂だったので、『ユリイカ』を観ることは当然必須であった。にも関わらず、(僕だけが)未見のままここまで齢を重ねたのは、シンプルに「向き合う姿勢が出来ていない」と考えていたからだと思う。すっごく自己陶酔的な物言いだな、と思うけど、何度思い返してもやっぱりそうとしか思えない。

つまり、テアトル新宿に向かう僕にとっては、この鑑賞体験は、二重に襟を正す、とても貴重な機会だった。その物言いの鋭さや、作品の完成度(僕はここ数年で2本観ただけの青山真治初学者なんだけど…)から、ある種の畏怖のようなものを感じていたんだと思う。なるほど、実際に観た『ユリイカ』はとんでもないものだった。その円環の中に囚われて、3時間超などあっという間。

ある日、路線バスの運転手・沢井(役所広司)と、通学途中だった兄妹・梢と直樹(宮崎あおい・将)の三人は、数人が殺害されたバスジャック事件の数少ないサバイバーとなる。生き残った沢井は、妻を置いて行方を出奔。かたや、マスコミの執拗な取材攻勢に梢と直樹の家族は崩壊。母は外に男を作り、酒浸りの父も交通事故で失うと、失語症となった二人は孤独な生活を始める。

事件から二年後、沢井が突然戻ってくる。妻も出ていってしまい実家にも居場所を失っていた沢井は、友人のつてで土方の仕事に就くが、町内では未解決の連続殺人事件が発生していて、同僚の美しい事務職の女性とただならぬ雰囲気になっているうちに、殺人の容疑をかけられてしまう。死んだような目がますます濁っていく沢井は、唐突に梢と直樹の家に転がり込み、兄妹の従兄弟も含めた四人による共同生活を始める。

路線バスで毎日同じところをぐるぐると周り続けていた沢井。この「回転」が、ナラティブを前進させる動力となっている。バスジャック犯に後ろ手で縛り合わされ、拳銃を向けられる中、もつれるようにくるくると回転するうち、二人はアイデンティティを放棄してしまったかのように溶け合ってしまう。回転するカセットテープは、歌を響かせている。相手の告白を待って、夜の自転車は延々回り続ける。回転。物語は回転している。

対になるように、発話が、声が発せられる。失語症となった兄妹が、「会話」をする。声が届かぬ壁の向こうの相手に、遠くの相手に、コツコツと壁を叩く音が、テレパシーの声が、そして歌が、発せられている。一方で、尋問中の刑事がペンで机を叩くコツコツと執拗に響くその音に、返答する者はいない。

回転と声、その2つのモチーフが、長い旅路を経てようやくひとつにまとまっていく。バスジャックで受けたトラウマを乗り越え、前に進むための旅路。沢井は、兄妹が、そして自分が、世界を取り戻すために前に進めるということに疑いを持たない。その当然の着地として、エンドロールの回転がある。いくつかの決別、いくつかの悲しみを経て、世界は声と色を取り戻していくのだ。

長時間にも関わらず無駄な描写が見当たらず、セピアがかった画の美しさ、ジム・オルークの名曲「ユリイカ」のみならず、アンビエンス含む音楽も良い。役者陣も、役所広司や宮崎あおいが素晴らしいのはもちろん、光石研や松重豊などの名脇役と並んで、国生さゆりの演技が印象に残ったことを覚えておこうと思う。一度きりの鑑賞だとまだまだ解像度が上がらず、全体を解釈するに覚束ないが、これだけは言える。素晴らしい映画体験だった。もっともっと、青山監督の作品が観たかった。ご冥福をお祈りします。

MCATM

@mcatm

もっと読む