Post

『プリズン・エクスペリメント』/これは、現実

有名な「スタンフォード監獄実験」の映画化。アルバイトとして集められた学生たちを囚人役と看守役に分け、監獄のような環境を擬似的に作り出した時に、参加者の意識に現れる変化を記録するのが目的だが、計画したフィリップ・ジンバルドー教授の意図が本当にそれだけだったのか。映画はそこはかとなく疑問を投げかける。大学の地下室を「私の刑務所」と称して恋人にドン引きされながらも、仕掛けたビデオカメラの映像にかじりつく姿には「ポルノ化」の気配も感じられるし、保護者に「ジンバルドーさん」と呼びかけられると「博士ですが」と返す姿に権力欲も匂わせるが、劇中でタイ・シェリダンも言う通り「これは現実」。事実以上の事は描かれないし、それ故に映画的なカタルシスには欠けるかもしれない。しかしながら、あまりの酷さに、さすがの俺も手汗が止まらない。

特に恐ろしかったのは終盤。実験開始時から看守に従順だった囚人役の学生を追い詰めて、無理矢理汚い言葉を言わせようとする看守たち。誰しもが持つ絶対に譲れない最後の尊厳を探り当てて、それを破壊しようとする行為。昔、動物園でうるさいクモザルの群れと一緒にされたカピバラが、ストレスに耐えかねてクモザルを殺したというショッキングな話を聞いたことがある(実際には餌の奪い合いらしい)が、それを思い出した。あれが完全なフィクションだったら、あの「ジョン・ウェイン気取りの」看守は殺されていたと思う(『暴力脱獄』の暴力教官はジョン・ウェインではないのだが、あのクライマックスとの対比はこの映画との対比を暗に示唆する)。

テレビのドッキリ企画とか、いわゆる「過激」なドキュメンタリーで、人の尊厳が奪われるような場面を目にすることがある(例えば、水ダウとか『童貞。をプロデュース』のことを、俺は言っています)。その度にドキュメンタリー制作者の心構えとして、想田和弘監督が話していた内容を思い起こす。ドキュメンタリーは、取材対象の未来にまで影響を及ぼすが故に、一生ケアしていく覚悟が必要である。実験中の精神状態や事故についてはもちろんだが、後遺症やその後の人間関係についても、大きな責任が生じることを忘れてはならない。ジンバルドー教授は、その後10年以上、被験者との対話を続け、後遺症が残っていないことを確認しているとのこと。

MCATM

@mcatm

もっと読む