Post

『オオカミの家』/誰も追随できない、異形アニメーションの最新進化型

チリの作家、クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャによる傑作アニメーション『Los Casa Lobo(The Wolf House)』が、今回『オオカミの家』という邦題で8/19に全国公開されるというザジフィルムズのファインプレー。ちょっと前、同じ作者による『Bones(邦題:骨で同時公開との嬉報)』という傑作短編を観てえらく感銘を受けた流れで、予告編を確認してからずっと待ち望んでいた日本公開がようやく決まったのを大喜びしていたのだが、(何故か)そのタイミングでMUBIでも観られるようになったので、たまらずいち早く視聴(もちろん、劇場にも行きますよ!)。吸い寄せられるように何度か観てた。予想通りとんでもなかった。魅力が詰まった予告編で想像出来る通り、異形の大傑作アニメーション。過活動、過視点、過イマジネーション。期待していたものは裏切られなかった。『マッドゴッド』も凄かったが、それ以上に。(以下、ネタバレなし)

チリに実在した「コロニア・ディグニダ」Wikipedia参照)というコロニーから逃げ出した女性、マリア。彼女の身に起こった忌まわしい出来事を記録した映像が発掘され、それをこのコロニーに対する悪い噂を払拭するための教訓映像として利用するためにリストアを依頼されたのが、レオン&コシーニャであった…という、あまりに迂回した設定の映画。冒頭に挿入されているのがコロニーの実際(という体)の映像が流れ、ナチスの残党が流れ着いたとされるこのコロニーの啓蒙的な意味合いを持つファウンド・フッテージに、邪な魅力が早くも充満している。

コロニーに対して反抗的な態度のマリアは、仕事をサボって動物と遊んだりしながら夢想にふけるのが日課の、孤独な金髪碧眼の美女。三匹の豚を檻から逃してしまったことを責められた夜、彼女はコロニーからこっそり抜け出し、逃げ込んだ森に隠れ家となる小さな小屋を見出す。しかし、その小屋にオオカミがやってくる…。

チョークかペンキで描かれたような暗い森に、白く小さな小屋が描かれては消され、その度に少しずつ大きく描き直される。その細切れにされた時間は連続することで、目に飛び込んでくる図像は原始的なアニメーションとして動き出す。その様は、テクノロジーの発達を知る我々の目にも、まるで新鮮な魔法のように映る。いよいよ手が届くぐらいまで小屋に近づいた我々の前で、細かく描かれた小屋の扉は突然実写の扉に切り替わり、扉が開くと中には三次元の室内が広がっていて、驚いている暇も与えられない。

実際の絵、実際の扉、実際の部屋、実際の蝋燭、実際の炎。隠れ家として逃げ込んだ小屋にいた二匹の子豚に、マリアは独自の「遊び」で蹄を人間の手足に変え、それぞれペドロとアナと名付ける。こうして「母」であり「天使」となったマリアは、小屋の外で自分たちを監視するオオカミから二人を守るために、ソフィスティケートされた人間の文化を学ばせる。彼女が森の中で授けられた力、創造する力を行使することで、言葉や仕草、容姿や衣類が与えられ、人間に近づいていくかつて豚であった二匹の奇妙な生き物。

小屋の外でオオカミが尋ねる。「お前の家は何で出来てる?誰が作った?戸締まりは済んだか?」『三匹の子豚』の童話がシュールレアリスティックに変奏される。「マリア。マリア。私の小鳥」。逃げられない小鳥が小刻みに籠の中を飛び回り、追い立てられるようにリズミカルな音楽が鳴り出す。複数の次元が一つの画面内に展開していくというだまし絵のような世界が、始終絶え間なく動き続けている。呪われ、追い詰められていくマリアの状況が、現実世界/精神世界の区別なく、少しずつ画面を侵食していく様を確認できるだろう。

綻びを、重要な表現として隠さない。絵を描いておくためのガラス板も、垂れてくるペンキも、テープの痕も、ワイヤーも、白に滲む赤い絵の具も、それらが上書きされ、消された痕も。「お前らの家を吹き飛ばしてしまうぞ」と脅すオオカミから身を守るように、小さな体を寄せ合って震えるマリアと二匹の子豚たち。予想外の邪悪で哀しい展開と、冒頭と対を成すラストのフッテージに、アリ・アスターがハマるのも超納得の厭な汗をかいてしまった。こちらも凄まじい傑作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』と並び、アニメーション表現の2023年時点でのもう一つの頂点。この機会にぜひ。

http://www.zaziefilms.com/lacasalobo/

MCATM

@mcatm

もっと読む