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『ジョン・ウィック:コンセクエンス』アクション映画の歴史が更新される音

愛犬を殺されたことに端を発したジョン・ウィックの勝ち目のない復讐劇。悉く重ねたバッドチョイスが、雪だるま式に悪化した状況に無謬の人々を巻き込み、彼らは無惨に殺されていく。「ババヤガ」と恐れられたジョン・ウィックの「呪い」は、決定的な運の無さ、決断センスの無さに起因する、彼自身の過失にまつわる問題である。

ジョン・ウィックの物語を観る我々は、この「呪い」に付き合わされている。前作の出来は必ずしも最高とは言えず、あまりの格好良さに笑い転げた(あまりに格好良いと、我々は笑い転げることを知った)伝説の「1」以降、その目減りした魅力は俺たちのドニー・イェンをもってしても補い切れる予感はなく、ただただ旬の過ぎたアーティストを「でも好きだから…」の気持ちで見守ってきた。そんな俺に言われても説得力ないかもしれないが、超えた。俺が間違ってた。『ジョン・ウィック:コンセクエンス』は、「ジョン・ウィックシリーズ」最高傑作です。過剰と覚悟を以て、1の新鮮さを凌駕したのだ。

モロッコの砂漠で主席連合の首長を射殺するというバッドチョイスを皮切りに、ジョン・ウィックの終わらない過ちは周囲を傷つけていく。コウジ(真田広之)など心を許せる数少ない友人たちを巻き込み、傷つけることを、リナ・サワヤマ演じるアキラから糾弾されると、その言葉が我々の心にモヤを残す。「ジョン・ウィックがいなければ、そもそもこの混乱はなかったのではないか」

あまりに凄まじいアクション、あまりに凄まじい運動量。インフレを起こしたケレン味が画面上で爆発し、ジョン・ウィックが進む道には屍の山が築かれる。釣り上がる賭金に目が眩んだ輩の死は自業自得だが、それにしたって後始末は必要である。大阪のホテルを廃墟にし、陶酔しきったドイツの舞客たちの前での人殺し、凱旋門を往く車に暴徒が投げつけられると、寺院へ繋がる長い階段を死体が転がり落ちていく。恐ろしいことにあのアクションスター=ドニー・イェンと対等の魅力を発しながら、ジョン・ウィックは片付けられない物語を撒き散らしていく。逃避行を続けるジョン・ウィックが各所に残した、畳まれない風呂敷。この風呂敷を誰が畳むのか。誰が畳むべきなのか。

結果的に、本当に信じがたいことだが、ジョン・ウィックは畳みきった。風呂敷を広げすぎた作品の末路に「畳んだ風を装う」「畳み損ねたことを開き直る」「風呂敷の存在を忘れる、もしくは忘れたふりをする」ことが多いことを考えると、これは、本当にすごいことである。彼のせいで失われた貴重な財産、貴重な命、貴重な絆、各種の報い(コンセクエンス)。これらをこの作品はいくつかの象徴(コンチネンタルホテルや、ブラザーフッドや、親子愛や、夫婦愛や、…)に封じ込め、正しく救ってみせる。正直、この結末は予想もつかなかったし、鮮やかすぎて気絶しそうになった。映画館の俺は、その時点でもう、半分立ち上がっていたのである。

MCATM

@mcatm

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