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『援助交際ハイスクール』/女子高生版ゴッドファーザー(にはちょい及ばず…)

キャサリン・ウォーターストン主演で、共演のジョン・レグイザモがプロデュースまでやっていて、おまけにキャリア初期のアレクサンドラ・ダダリオまで出ていたとしても、絶対観ないよね、こんなタイトルの映画。『援助交際ハイスクール』だぜ?こんなもん妻子が田舎に帰っている間しか観るタイミングがないので、急いで観ました。キャサリン・ウォーターストン関連でけしからんことを考えている男子は、何も考えずに『インヒアレント・ヴァイス』を観てください。忠告はしたよ。

いきなりほぼトップレス状態のキャサリン・ウェザーストーン嬢(当時27歳)が、淫らな大人と女子高生たちの集うロッジの中、「なんでこんなことになっているのでしょうか…」と回想的な語りをする場面からスタート。音楽も70年代のフォークミュージックっぽく、何故かアメリカンニューシネマとか『カラスの飼育』のような雰囲気に、「援助交際〜」という文字面との高低差が激しくて、体調悪い人は耳鳴りとかするかもしれない。

勉強が出来るが大学進学を躊躇するぐらいの中流家庭に暮らすシャーリー(キャサリン・ウェザーストーン)が、ベビーシッターのバイトでマイケル(ジョン・レグイザモ)と出会ったことから、冒頭のアンニュイなオージーへと向かう物語がゴロゴロと転がり出すわけです。「出会いがきっかけ」と言えば聞こえは良いが、実のところは「金」。シャーリーを初めて抱き寄せた後、マイケルは「ベビーシッター代だよ」と言ってお金を渡してしまう

「昔は野放図でクールだった妻も、二人の子どもを持つ今はガミガミと口うるさく、融通の効かないつまらない女になってしまった」。夜の閉館した電車展示場で、そういった類の小さなつまらねえ不満を爆発させるような心持ちで、文字通り「子ども」と不貞の関係を交わすマイケルは、我に帰ってすべてを「大人」のマナーで解決する素振りを見せることで、この夜を合理的に解決する心づもりだったように見える。その「大人」と「子ども」を相対化して利用してみせるやり口が、シャーリーに直接的で決定的な影響を与えてしまう。

合理的で打算的な割り切りの結果として、「ベビーシッター」を装った「売春仲介業」を組織するに至ったシャーリーの早熟さ。この振る舞いの構図や力関係は、彼女とその周りの男子生徒たちの幼さのアンバランスさを反映しているようにも見えて興味深い。初めて親友に客を斡旋した夜、「それでは…」と改まった感じのシャーリーが仲介手数料を要求した時は噴き出すかと思った。

こうした物語は帰結が大事で、そこさえ上手くやれば「女子高生版ゴッドファーザー」と呼んでもおかしくない傑作になっていた可能性もあったのに、着地が実に不格好でそこは本当に残念だった。或る決定的に衝撃的なことが起こるのに、その先を見せなかった、ほのめかしすら出来なかったのは、単純に実力不足だったのかもしれないし、プロデュースまで手がけたジョン・レグイザモがええカッコしたかっただけなのかもしれない(監督のデヴィッド・ロスはこの長編デビュー作を最後に作品を発表していないっぽい)。

日本語でのレビューが済東鉄腸さんのブログFilmarksぐらいしかなく、そのどれもすこぶる低評価。そういう現状を全く知らずに観たのですが、知ってたら観なかったかもしれない。いずれにせよ、無視するのはちょっと惜しい佳作。原題は『The Babysitters』。そう、いつものやつです。これのせいで、日本のファンは「キャサリン、キャリア初期に『援助交際ハイスクール』出てたんだな」と思っちゃうわけですから。悲しいです。


※ アレクサンドラ・ダダリオは2秒ぐらいしか出ません

MCATM

@mcatm

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