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昨夜は台風の最中、送別会も兼ねた職場の集まりに赴くと、主役がおらずまあ仕方ねえかって感じですね。それでも酒を飲んで、蟻にじゃがりこを撒いて3時間飲み続けた話とか聞いて爆笑したりした。帰って2本映画を観る。


ちょっと外に出るとプールサイドみたいな湿気。今日明日は家に篭るつもり。今日3本映画を観れば、8月中に300本達成するので少し頑張って観る。数十年見逃し続けてきた『フォレスト・ガンプ/一期一会』。こんなに「足」についての映画だとは思わなかった。母親の「神の定めた運命に従う」というキリスト教的な価値観と、それに抗う「風まかせでいこう」という正反対の主張。しかしながら、この世には「健脚」を持たない者もいて、そもそも今生をフラフラと風まかせに漂うことすらままならない。「?」の形に曲がった背骨で歩くのも難しい幼少期のフォレスト(トム・ハンクス)は、「走って!」という愛しのジェニー(ロビン・ライト)の呼びかけに応えるような形で、自らの足を取り戻す。一方で、「足を清潔に保つべし」というモットーを掲げる人物は足を失ってしまう。足を取り戻し、時代の中心をフラフラと駆け抜けていくフォレストと、その影のようにその場に留まることしか出来なかった人物。というように、進歩の歴史として捉えることの出来そうな物語だった。

奇しくも次に観た『村の秘密』なるオーストリア映画も、この「前進する」という主題を取り扱った佳作だった。村の有力者の娘が死体で発見される。村の警官である主人公はこの一件を事故として片付けようとしていたが、隣国からやってきた上司が他殺事件として辣腕を振り始める。面白いのは、主人公が敏腕刑事ではなく、村で生まれ育ったうだつの上がらない警官である点。信じられないぐらい華のない彼が奮闘するも、仕事は出来そうだがとにかく傲慢な上司と、村人との友情の間で板挟みになり苦しむ。

結局はこの男も、村の人間関係にがんじがらめになっていて、それを蔑ろにしたり、村から出ていくという思考すら頭にない。瞑想や東洋哲学に通じていそうな父親の知恵にはすがるが、世捨て人のような生き方の父親とはソリが合わない。そんな彼が、この村の「問題」と向き合う中で、いつの間にか父親との関係を再構築していくこととなる。ミステリーの面白さ以上に、彼が採った選択の鮮やかさに嬉しくなる作品だった。

『フォレスト・ガンプ』の主人公は、「アメリカン・ドリーム」を擬人化したような存在で、それを無垢のものとして捉えるやり方に少し危うさを感じた。彼とは対照的に見えるジェニーの行動も、実は「運命」と「偶然」に導かれたものである点はフォレストと変わりなく、ただただ結果が対照的なだけなのである。『村の秘密』や、一昨日観た『村人』にしても、「田舎に暮らす」という不自由さから、自分なりの解放を目指していくという意味では一続きの、「アメリカン・ドリーム(的なもの)」のオルタナティブな解釈である、と言えるのかもしれない。

MCATM

@mcatm

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