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俺のもやもやポイントも、お前のもやもやポイントも、あの子のもやもやポイントもみな異なるのだ、という語義通りの「多様性」を前提にすると、もう全てのことは自分ひとり(か、せめて家族とか親しい仲間内)で決断するより他ないのだ、という結論に至る。なので、しばらく声高にクレームを発する行為から距離を置いている。例えば今、『不適切でなぜ悪い』を観ているが、あのドラマにどうにも乗り切れない部分というのがあるのは認めるし、多分あなたと俺のそれは重なったり異なったりしているはずなので、少なくとも「見ないという選択肢を取れる」状況にあるのであれば、それをSNSで声高に言うのは違うだろう(あくまで被害者がいないのであれば)という話。なんとも言い切れないもやもやとしたムードを、数で押し切ろうとする流れには心底飽き飽き。俺だって過去に何度かSNSでぶち上がったことがあるし、今でもそれは本当に必要なことだったと自分では信じているけど、それをあなたに押し付けることはもうしない。各々、心の倫理基準を大事に、芸術を育んでいきましょう。

ただし、政治の話は別だぜ!どんどんやっていこう!


自分は蔡明亮のことを「呆れた人だ」と思ってるけど、それでも結構好きなんだと思う。こんなに素直に好きと言えない監督も珍しい。『青春神話』もすごく面白かった。前に観た『河』とおそらく同じ家族が出てくる。道教の神「哪吒(ナタ)」の生まれ変わりと占われたシャオカンが、身体にナタを降ろしてはしゃぎまくると、なんとなく邪なパワーのようなものが湧いてきて、父のタクシーのサイドミラーを割った男・アザーに復讐しようとつきまとう。ナタは父への復讐を誓った神なので、その復讐の矛先は仲の悪い父親に向けられるはずなのだが、そうはならない。割れた鏡、割れた窓、割れた茶碗。いつも水浸しなアザーの家や大雨で、街はいつもじめじめと湿っている。そうした光景が、シャオカンの不条理じみた行動の補助線となる。

大雨に曝された冒頭の電話ボックスの光景の美しさに、この映画の傑作を確信した。ここで巧みに金銭を盗み出したアザーたちの行為は、後半の土砂降りの中で因果の報いとして応じることになってしまう。坂を転がり落ちるように、悲惨な運命を辿る一日。しかし、シャオカンもまた、後日奇病にかかる未来が待っている(『河』を参照のこと)のだから、因果なことである。

MCATM

@mcatm

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