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ブランドン・クローネンバーグ『インフィニティ・プール』/R-18の向こう側

リゾート地を訪れた売れない作家夫婦が、現地で出会った希少な愛読者であるという夫婦(ミア・ゴス、ジャリル・レスペール)と出かけた夜の浜辺からの帰り道。泥酔し、眠い頭で運転している主人公(アレクサンダー・スカルスガルド)は、故障してチカチカと点滅するライトに気を取られ、現地人を轢き殺してしまう。過失であっても人を殺すと死刑になるこの島では、こうした他国の受刑者に対して、当人の精巧な「クローン」を作成して身代わりに殺害するという習慣があり、現地警察に拘束された彼も、大金の支払いを条件にこの取引を持ちかけられる。

「クローンを身代わり処刑する」という魅力的な設定が一つ加えられただけの現実は、我々の住むこの現実と地続きのはずなのに、まるで急所を突かれてしまったかのように立ち往生してしまった。


これまでのブランドン・クローネンバーグ監督作品は、宣伝でも使われるような映画の見所となるグロテスクなビジュアルが、物語とあまり有機的に絡んでおらず、結果的にこけおどしの表現に見えてしまうところに不満を感じていた。そこに来て本作では、主人公が体験する幻覚が、彼の性的な欲望/抑圧に対する不安を感じさせる素晴らしく悪夢的なシークエンスで、この物語と彼の行動原理を明確に表現している。それでいて些かも説明的ではなく、今まで観た幻覚シーンの中でもトップクラスに良く出来ているし、抽象と具体を行き来し、強烈かつ卑猥で、暴力的であった。特に現地の麻薬を摂ってのオージーシーンでは、ミア・ゴスとまぐわっているはずなのに、いつの間にかどこかの誰かが紛れ込んでいて、いつ、どこで、誰が、何を、誰の、何に、挿入しているのかがわからなくなるほど混乱を極めている。あまりに混沌としていてぼかしも意味を持たず、R-18の向こう側が顔を見せている。

テクノロジー(クローン技術)を自由に使える立場にある者が、如何に傲慢に振る舞えるのだろうか、という観点で見ると、現代におけるテクノロジー強者と弱者の対比が強調されているようにも見える。そんな中で、自身は貧乏作家であるが、出版社を経営する富豪の娘を妻に持つ、という主人公の微妙過ぎる立ち位置こそが、この異常なシチュエーションに複雑さを持ち込んでいる。「実は自分の方がクローンなのでは?」みたいなありがちなイシューなど序盤ですっ飛ばされる。如何にしてこの地獄を抜け出すか、抜け出せたとて、抜け出したのはどのバージョンの俺なのか、なんてことはもう既に誰も気にしておらず、雨季の訪れたリゾート地に自分を失った抜け殻のような肉体は横たわっている。

主演のアレクサンダー・スカルスガルドも素晴らしいが、ミア・ゴスが出演するとそれは「ミア・ゴス映画」になってしまい、アレクサンダーですら簡単にその下僕と化してしまう。平凡な富裕層の妻が、チート俳優=ミア・ゴス得意の「奇妙な妖艶さ」を滲ませると、背景色がグラデーションを描くエンドロール同様、キャラクターも繊細かつ着実にじっとりと変化していく。音楽はTim Heckerで、クレジット見てびっくり&喝采をあげた。クローネンバーグおじきの長男がついに成し遂げた。胸糞悪い映画が好きで、セックス&バイオレンスに抵抗がない人(ジュリア・デュクルノー『TITANE/チタン』とか好きな人)は、全員必見の大傑作だと思います。

MCATM

@mcatm

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