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オスカーでのダウニー先生もエマ・ストーンも、「(ニュアンスは違うものの)感じ悪いな」とは思うんだけど、やっぱSNS噴き上がりの暴力性みたいなものを感じてしまって乗れないです。わずか数十秒の「間違った」振る舞いを以て徹底的に糾弾される、その状況が自分に降り掛かってくる恐怖の方が全然勝ってる。人類にはSNS早かった案件。

俺も調子乗ってて人のこと無視したり、侮蔑的な態度を取ってしまう過ちを冒すことはあるだろうという自覚がある。そんなことがあったら、そら謝るよ。その時はちゃんと謝りたい。でも、その謝意って、絶対に伝わらない自信がある。これから、RDJもエマ・ストーンも謝るんだろうけど、その謝罪がSNS噴き上がりの民に届くことはないだろう。「白人がプレゼンターなら、こんなことはしなかっただろう」。「なら〜だろう」でこれだけぶち上がっているのだから。

この繰り返しを経て、しかしながらRDJもエマ・ストーンも今の地位を維持するのだろうから、SNSの声なんて力を持たない、という事実に皆が気づいていき、この悪魔的なメディアの力は指数関数的に落ちていくだろう。その見事なフィルタリングバブルの中と外の分断は続く。ここんとこ、毎日のようにこの噴き上がりの話をしている気がします。


Netflixで『家をめぐる3つの物語』を観る。三本の短編ホラーアニメという認識だったんですが、「ホラー」にはあまり重きはなく、まさに「家をめぐる」という部分がこの連作の重要なテーマになっている。一本目では、その成り立ちが示されるのと同時に、ドールハウスとして出現する「家」は、二本目では完全に蟲の住処になっていて、三本目で浸水の憂き目にあっている。アニメーションの雰囲気も一編ごとに若干異なり、特に一本目の不気味な雰囲気は特筆すべきもの。中心に目鼻の集まったフェルトアニメは一見可愛らしいんだけど、追い詰められて心を失っていくごとに、目の虚ろが強調されていく。最終的には『ヘレディタリー』を思い起こさせるような恐怖表現が繰り広げられると、二本目はどちらかというと『ボーはおそれている』。ホラーとはちょっと違ったけど、興味深い表現でした。

MCATM

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