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ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『雪の轍』/踏み固められた悪意の上に生きる

とにかく、主人公アイドゥンは徹底的に嫌われている。元俳優にして地元の名士である彼の前で、人々は張り付いたお追従笑いを続け、見えなくなると「あのクソ野郎が」と吐き捨てるし、それ以外の人々はもはや彼への軽蔑を隠さない。幾度となく繰り返される口論中に指摘される以上に、何か決定的な理由があったのかは分からないまま、とにかく主人公が嫌われ続け、同時に観ている側も雪が積もっていくかのごとく、薄っすらとしかし着実に彼のことが嫌いになっていく

アイドゥンと部下のヒダーエットが運転するトラックが、投石による攻撃を受ける。犯人は、アイドゥンの父親が持つ家に住み、家賃を滞納しているイスマイル家の息子イリヤス。アイドゥンたちは、逃亡中に川に落ちてずぶ濡れになったイリヤスを送り届ける、という善意の衣を被って、彼らの住む家に向かうと、酒浸りのイスマイルによって逆に脅されてすごすごと帰ることになる。

地元の新聞に寄稿する作家先生としての顔も持つアイドゥンは、そうした経験を踏まえ、地元の退廃を告発すべくペンを執ると、その態度が出戻りの妹ネジラの批判を呼ぶ。悪とどのように対峙すべきか。「悪には抵抗すべきではなく、自戒を促すべきである」というネジラの信念は、別れた夫への「許し」を考えるきっかけとなるが、アイドゥンもその若く美しい妻ニハルもその心情を理解することが出来ない。

三人の議論は、お互い全て筋が通っていて、全て理想論であり、全て矛盾している。破綻し、空中分解する、議論の残骸である。教養ある落ち着いた大人の態度を崩そうとしないアイドゥンは、破綻した議論を気取った手付きで修復しようとするが、その気取りが邪魔をして、議論は順調に惨めな口論へと移行する

アイドゥンとニハルの関係は完璧に破綻していて、修復を試みるよりも互いに干渉しないことが唯一の正解のよう。そんな中、慈善家としてのニハルの活動に、年の離れた「教養ある大人」としての気取った態度で口を挟むアイドゥン。確かにニハルの事業家としての能力もかなり怪しいものだが、それを偉そうに指摘し、大人の私が助けてやると手を出し、面倒くさくなって放り投げるアイドゥンもなかなかのもの。

もう、これは、人生を賭して共に何かを成し遂げるような関係ではないのかも。お互いがお互いの理屈で匙を投げると、遂に誰も彼もがバラバラで、孤独な存在であることに気付かされる。善意によって舗装された道は、悪に通じている。カッパドキアの小さな村に降り積もる雪のように、薄っすらと着実に積み重なってきた「悪」の上で、如何なる態度で生きていくべきなのか。ドロドロと垂れ流した悪意の層を、改めて踏み固めて見せるヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。3時間15分の大作ながら、2時間半ぐらい観た辺りで、もう1時間延長できねえかな?と思うほどの傑作でした。

MCATM

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